『弓道士魂 〜京都三十三間堂通し矢物語〜』(きゅうどうしこん、KYUDOHSHIKON)は、平田弘史による日本の漫画作品。
物語は寛永14年(1637年)に尾張藩・杉山三右衛門により打ち立てられた通し矢5044本という記録を再び紀州藩が塗り替えるため藩主・徳川頼宣が家来に厳命を下す所から始まる。しかし天草の乱が勃発し、ほとんど挑戦する暇が無かった。頼宣は同乱の後、江戸城で仲の良くない兄・徳川義直から長らく記録が更新できないことを笑われ、さらに通し矢へ力を入れる。城下の矢場は常に満員となり、城下の村々の広場まで矢場として使用された。下級武士の星野勘左衛門は義父と農作業をしていた。義父は右首に流れ矢が刺さり亡くなる。直後、勘左衛門は父の仇である責任者である弓役六百石・多田惣左衛門を探し、「流れ矢を返す」と正確に眉間を射抜いて殺した。その場にいた多田の部下に斬り殺されそうになるが、偶然通りかかった尾林により事態は一旦収まる。勘左衛門は奉行から斬罪を言い渡されそうになるが、尾林が通し矢と同条件である六十六間(120メートル)先の的に1射1中すれば助命するという代案を出し、採用された。勘左衛門は弓を構え、会のまま長時間静止していたが、25分が過ぎたところで鼻血を流し、額の右の静脈が破裂し倒れ、身柄は尾林が預かることとなった。意識が戻った勘左衛門は尾林から紀州のために通し矢天下惣一(てんかそういつ)を目指して修行をするよう提案され、承諾する。尾林は足腰を鍛えるためとして、毎朝勘左衛門の胴を縄で縛り馬で引き摺った。ある朝の訓練で縄が切れて倒れていた勘左衛門は自身が殺した多田の息子に見つかり殺されそうになるが、通りかかった和佐盛右衛門に助けられ、手当てをされる。尾林の下へ帰るのが嫌だったが、和佐に説得され、和佐の妻の料理を食べる際に自身が幼少の頃の母を思い出し、天下惣一を再び決意し走って尾林の下へ戻る。その後尾林の家で馬を奪って京都・三十三間堂へ向かい、庄内藩・高山八右衛門によって記録が更新されるのを目の当たりにする。その後は紀州へ戻り、尾林の下で厳しい修行を始めた。尾林、和佐の指導により紀州藩の代表を言い渡されるが、後の調査で実父が尾州所属と判明したことにより取り止めとなる。今後紀州から通し矢に挑戦する機会すら与えられないことから尾林一門に見送られ尾州へと旅立ち、何度も天下惣一を成し遂げた長屋六左衛門に弟子としてもらうべく家を訪ねた。宿を探そうと、長屋の家を出た後に3人の刺客に襲われ、全員刺し殺して撃退したが重傷を負う。長屋の下で療養し、弟子となり、何度も送られる紀州の刺客をかいくぐりながら尾州代表として天下惣一を果たす。主君に藩の通し矢への不参加を進言、紀州による記録更新の阻止を条件に承諾される。その後、勘左衛門とは弟同然に育った和佐大八郎が紀州代表として通し矢に挑む。勘左衛門は記録更新ならば刺殺するつもりでその場へ向かったが、緊張などにより4000本ほどで倒れた大八郎の姿を哀れみ、腫れた手のひらを切り悪い血を出してやり、助言を残しその場を去る。大八郎は8132本という記録を打ち立て天下惣一を成し遂げた。尾州は烈火の如く怒り、勘左衛門を殺すべく刺客を放つが探すことはできなかった。長い時が経過し、一般大衆には紀州の記録は尾州の勘左衛門の助勢により成しえた両藩の総力の結晶であり通し矢の限界という説が広まり、藩が名誉をかけて行う通し矢は終わりを迎えた。