株式会社兎月書房(とげつしょぼう)は、かつて東京都千代田区三崎町水道橋に所在していた日本の出版社。社長兼編集長は創業者の清水袈裟人。赤本・貸本の中堅版元として水木しげるやジョージ秋山、高信太郎を輩出したことで知られる。戦記物、ギャグ、ホラーなど多様なジャンルの貸本を出版していた。しかし貸本漫画は、1959年に『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』など週刊漫画雑誌が相次いで創刊されると徐々にシェアを奪われ急速に衰退する。兎月書房も例外ではなく深刻な経営難に陥った。
株式会社兎月書房(とげつしょぼう)は、かつて東京都千代田区三崎町水道橋に所在していた日本の出版社。社長兼編集長は創業者の清水袈裟人。赤本・貸本の中堅版元として水木しげるやジョージ秋山、高信太郎を輩出したことで知られる。戦記物、ギャグ、ホラーなど多様なジャンルの貸本を出版していた。しかし貸本漫画は、1959年に『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』など週刊漫画雑誌が相次いで創刊されると徐々にシェアを奪われ急速に衰退する。兎月書房も例外ではなく深刻な経営難に陥った。