株式会社婦人生活社(ふじんせいかつしゃ)は、かつて存在した日本の出版社である。月刊婦人誌『婦人生活』の編集・発行元であり、「ガーデニング」を流行させた雑誌『私の部屋ビズ』の発行元、「公園デビュー」を命名した雑誌『プチタンファン』の編集・発行元としても知られる。1947年(昭和22年)2月1日、講談社出身で元『講談倶楽部』編集長の原田常治が「株式会社同志社」として設立する。同年5月、月刊婦人誌『婦人生活』を創刊する。同誌は、創刊から5年の1952年(昭和27年)には、『主婦の友』『主婦と生活』『婦人倶楽部』と並ぶ「戦後四大婦人雑誌」と呼ばれ、発行部数も50万部を超えた。この勢いから、原田は、その出身である講談社創業者・野間清治と比較された。ジャーナリズムの思惑はともあれ、「戦後四大婦人雑誌」の時代は以降40年つづくことになり、その礎となった。1957年(昭和32年)5月、監修に田中千代を迎え、『服装』を創刊する。